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第六回テーマ 「記憶に書き込まれた香り」

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「香りとなったあなた」

I・Iさん

我が家の二階北側に東西に縦長の六畳の和室があります。以前は夫婦の寝室でしたが、今では私一人の部屋です。その部屋の北側に並べて置かれた和箪笥の残りスペースは敷布団二枚敷くのがやっとでした。

十数年前、当時五十六歳だった夫は癌を再発し余命半年と医師から告げられました。その日から夫を送り出すまでの三か月は一日が一年分と思われるほど貴重な時間でした。

毎夜、互いに確実に近づいている別れを自覚しながらも決してそれを口にすることなく、奇跡を信じ、退職後は好きな庭いじりやテニスをして楽しみましょうね、三人の娘たちとバージンロード、あなたきっと泣いてしまうわね、息子ともお酒を飲みながら男同士の話をしたいでしょう、子供たちの結婚相手は、孫は何人位かしらと、元気になりさえすれば、夫が経験できる楽しいことを語り合いました。

その一方で日毎に気弱になっていく夫、互いに布団に横たわりながら、彼の左手を私の右手でしっかりと握り元気パワーを送り、励まし続けました。和室はそうした夫との最後の思い出が詰まっている部屋です。高さ六十センチの箪笥の上に大きな彼の遺影を置きました。私が布団に横たわっても右手斜め前方に彼の微笑む顔が見えます。彼が逝った後、地獄のような孤独感や絶望感に襲われるたび、この微笑みにどれほど慰められ、励まされてきたことでしょう。いつも「君には笑顔が似合う、元気に動き回っている君が好きだ」と言ってくれていた夫。彼のその言葉のお蔭でこれまで自分を奮い立たせてこられました。

夫の遺影の前で朝夕たくお線香の香りがいつの間にか部屋中に染みわたり、今ではその香りが彼そのものとなりました。北側で冬場はとても寒い部屋ですがそこに満ちた夫の香りがどんな時も私を温かく包み込んでくれます。北側の和室、それは私のいちばんお気に入りの部屋です。

 

「沈丁花の香り」

H・Sさん

遠い記憶の中からよみがえってくるのは、鮮烈な沈丁花の芳香です。最初の記憶は幼稚園の卒園の頃だったでしょうか。小学校入学への期待と不安の入り混じった感情が、その香りといっしょに刻印されています。次は社会人二年目で夜間の社会福祉専門学校の受験に挑んだとき。面接試験の日、校舎の花壇から沈丁花のかぐわしい匂いが漂ってきました。その強い香りを吸い込んだとき、不安に覆いつくされた心の霧が一気に晴れ、自分を奮い立たせる活力が湧きあがりました。どうにか入学は叶ったものの、卒業までの道のりは長いものでした。三年間の保母過程が、実習休暇がとれなかったため五年もかかってしまい、結局、その資格を活かした仕事にも就かないまま、一昨年、定年を迎えました。

先々月、卒業三十五周年の同期の集いがあり、あの面接時に出会った師に三十八年ぶりの再会を果たしました。来年以降、同校の「保育士過程」の募集がなくなることを知らされて沈んでいた私たちに、八十代半ばで依然現役の師は、「いっしょに学んだ私たちがこうして集うだけでも意味がある」と述べて勇気づけてくださいました。別れ際の握手のぬくもりは決して忘れません。

先月、半世紀以上も隣人でいた方が引っ越し、その家が解体されました。境界の塀が壊され、我が家の玄関先にあった高木も伐採されることになりました。代わりの木は、低木常緑樹の沈丁花に決めました。春の到来を告げる高貴な香りは、多くの人に人生の節目の記憶を呼び覚まし、過去の自分に出会わせてくれるに違いないと思います。得ることより失うことが多いと思えるこれからの私の人生で、年に一度、その香りに出会い、過去に立ち戻り、再び自分を奮い立たせ元気づけてもらいたいと願いました。

沈丁花の花言葉を調べると「永遠」でした。面接のとき、師がかけてくれた言葉を思い出し、私の胸の中に響きました。

 

「紅葉もまた香ばしい」

 K・Nさん

六年前のこと。我ら八人のニューロージン(新老人)はようやく十一月半ばになって遅い紅葉観賞の旅に出た。
池袋から群馬県の草津温泉往復バス付きで二泊二万円とあっては行かぬ手はない。四時間ほどバスに揺られ途中で水沢うどんなどをいただき、終点のバスターミナルに。そこから定番コースの湯畑へ向かった。

湯けむりもうもう硫黄がツンツン、このにおい、若い頃は苦手だった。キャッチコピーの「草津の湯は恋の病以外は何でも治る」ってほんまかいな?
 湯畑を囲む石の柵には明治の初期に当地を訪れた外国人教師の名前が刻まれている。レオン・デシャルム、アーネスト・サトウ、アドルフ・エリック、ノルデンショルド、エドムント・ナウマン・・ この件に関しては、タダマサ・S 氏七十八歳が解説をしてくれる。

湯畑から西の河原通りに入ると、温泉饅頭の甘い香りが漂ってきた。西の河原(湯の川)に出ると、そこかしこから湯が噴き出しすぐ碧色に変わる。その湯を嗅いで舐めてみると強酸性だと実感。近くには草津の恩人、エルヴィン・ホン・ベルツ博士とジュリウス・スクリバ博士の銅像があり河原を眺めている。
湯の川沿いに天狗の相撲場まで進み、その右手の林に着いた。台地になっていて日当たりが良い。落葉の絨毯、湿った土からキノコが顔を出し、土の中では無数の微生物が生 命(い の ち)を紡いでいることだろう。

モミジの葉っぱが一ひら、二ひら落ちてきた。タイゾウ・S 氏七十九歳はその葉を拾い、少しの間、鼻に当てファイルにしまいこんだ。

「何しているの?」
「旬の葉っぱは好い香りがするんだ・・ この香りを記憶しておこうと」
「なるほど」
「コピーショップへ行ってフィルムで挟んでラミネートするのです」

シンペイ・I 氏八十九歳が林の先端に立ち、町一番の紅葉スポット「道の駅」の方向を眺めている。グレーのコットン・フラノのパンツにチャコール・グレーの上質なウール・ジャケットは英国紳士の伝統的スタイルだ。杖を持ち凛として立つ氏の後ろ姿に私は目を瞠った。

澄んだ空気、谷川の音、陽が差し、風吹き、真っ赤なヤマウルシやコナラ、ナナカマドなどが演奏を始めた。

私にはドボルザークの交響曲が聴こえてきた。

 

「妻の香り」

平井一雄(寄稿エッセイ)

初めてのデートのとき、その女(ひと)は香水をつけていた。あとでブランドを尋ねると、タブーという名だと教えてくれた。これから親しくなろうというのに、タブーとは…と心のうちでは苦笑をしたのだったが、やがて、その女(ひと)は、わたしの妻となり、そしていまは、その体は永遠にわたしの許を去って行ってしまった。

妻が亡くなってから半年を越えるが、共に日々を過ごしたこの家に、わたしは独り居を続けている。既視感という言葉はあるが、既嗅感という言葉はないと思うけれども、さきごろこんなことがあった。

門扉が開いたことをしらせるチャイムが鳴ったので、玄関に出てみると、ドアの向こうにはまったく人の気配がない。来客は、門扉を開ける前にインターフォンの釦を押すから、それをせずに勝手に入ってくるのは、娘くらいしかいないのだが、念のために玄関ドアを開けて外を覗くと、冬の薄暮の空間があるだけである。門扉も開けられた様子がない。

居間にもどると、微かにききなれた薫りがする。「ああ、妻が帰って来たのか」、と思った。妻は若いころは香水をつけていたが、齢を重ねるにしたがって、ほのかにオーデコロンを薫らせるだけになった。その、日常親しんだゲランの薫りを、たしかにわたしはきいたのである。

わたしの妻と同じ病いで、愛する夫人を亡くした作家ジュリアン・バーンズは、著書『人生の段階』のなかで、「妻が死んだことは、その存在が消えたことまでは意味しない」、と書いている。愛する者の死は、その存在の全否定を意味しない。わたしの妻は、日ごろ嗜んでいた薫りで、身近にいることを教えてくれたではないか。そのことを頼りに、わたしは、これから先の余生を、明るく前向きに過ごそう。それが妻の望んだことでもあるのだから。

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