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第九回テーマ 「○○記念日」

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「生涯の宝物を得た記念日」

I・Iさん

高三夏の全国高等学校庭球大会学校対抗戦決勝戦のことである。試合はダブルス一とシングルス二の三ポイントで行われ、一対一の同点で私の出番となった。チームにとって三連覇をかけた試合、主将としてこの一年、絶対優勝というプレッシャーと戦ってきた。相手は大柄でがっちりした選手、それに比べ私は小柄で痩せ、真夏の炎天下で立っているだけでもきついという情けない体つきだった。

試合は私のペースで進み、第一セットを先取、第二セットも五―一とリードし、あと一ゲームで優勝という時、勝ちを意識したためか、突然、足が痙攣しだした。

私の変化に気づいた仲間は、疲れさせまいとボール拾いをしはじめ、手渡すたびに「いっちゃん、ファイト」と声をかけた、その声援に軽く頷き、頑張るからと目で気持ちを伝えるのがやっとだった。辛うじて立っているだけの私に、笑顔がうせ、悲壮な顔つきとなったコーチから「根性で頑張れ」と叱咤激励が続いた。この第二セットを落とし、第三セットを戦うとなれば、体力的にも余裕のある相手の勝利は誰の目にも明らかだった。

ゲームを連取され、六―五と逆転されてしまった時、この優勝を目指して毎日指導してくれたコーチ、ともに練習をしてきた仲間一人一人の顔が浮かんだ。自分のためでなく、この仲間たちのために絶対に負けられない、もしこの試合に負けたら、この先ずっと嫌な思い出として残るだろうと、試合中にいろいろな思いがよぎった。残っていた気力を使い果たし、苦闘の末八―六で勝った瞬間、勝利の喜びと、責任を果たせた安堵の涙が溢れ、みんなと抱き合い、声をあげて泣いた。

あの時ほど仲間の力や、仲間のために出せる力を強く素晴らしいと感じたことはない。あれ以来、苦しい時にはいつもあの試合の場面が思い出され、私を後押ししてくれる、私にとって生涯の宝物となっている。

 

「三月十日の思い出」

H・Mさん

まもなく米寿を迎える歳になり、人生八十年を超えるなか、思い出に残る出来事がいろいろあった。振り返れば小学校の入学から始まった学生時代、就職、結婚、子供の誕生、さらに孫の誕生、そして退職。その節目節目に慶ばしい出来事もあれば、また両親や兄弟姉妹との別れや戦時中の空襲の恐怖、戦後の食料難による飢えなど、暗い側面が走馬灯のように蘇ってくる。今、夫婦で平穏な日々が送れているのも、自分を囲む多くの人々のお陰と感謝している。

自分記念日というか、毎年寒い日が過ぎ、陽春三月になると、必ず頭に浮かぶ思い出がある。その日は三月十日。戦前は陸軍記念日で、戦時色に彩られた銀座通りを行進する戦車隊に日の丸の小旗を振り勝利を確信していた。それが昭和二十(一九四五)年三月十日の東京大空襲で、猛火と台風並みの旋風のなか逃げ惑う身となった。

次の思い出は昭和四十三(一九六八)年三月十日、実弟の結婚式の朝、突然ニューヨーク駐在の妻の弟の交通事故による急死の報せが入った。妻は泣き崩れ、結婚式には自分一人が出席した。あれから五十年経った今でも、三月十日になると、当時のことが頭に浮かぶ。

次は平成二十三(二〇一一)年三月一一日に起きた東日本大震災の思い出である。一日違いであるが、七年前に発生したこの出来事はありありと覚えている。その日は二子玉川の介護施設で書道を指導していた。午後二時四十六分、震度五強の大揺れとなった。若いスタッフは右往左往し混乱していたが、入居のお年寄りは案外冷静だった。

自分記念日とはいえ、暗い思い出しか浮かばないが、毎年、桜の開花が待たれるこの時期になると思い出す忘れられない出来事である。

 

「自分記念日」

M・Wさん

高校を卒業して東京都の行政職の仕事を始めてから数か月が過ぎたころ、大学へ行き保育士か教員の免許を取りたいと思い始めた。もちろん自分が働いて学資を貯める計画であったが、今までお世話になり育ててくれた母と兄に「大学へ行きたい」と話した。その話を切り出したのが、夕食が終わって家族の団欒のときだった。その言葉に慌てふためいた母は、「就職もできたし、大学へ行く必要なない」と強い語調で私を諭した。しかし私は頑として自分の意思を押し通した。

母の言い分は、母や兄たちには迷惑をかけないこと、学資の負担はできないから自分で働いて行くこと、というものだった。しかしそれでも母は大学へは行く必要がないと、強く言い、私との間は平行線だった。大学へ行くと宣言した私は、引き下がることもなく、しごとと両立させながら大学へ行く準備を進めた。入学金が安い通信制の大学を四年間で卒業し、小学校の教員免許を取得して二十五歳でめでたく教員になった。教員になって行政職との大きな差は、給与が高くなったことと、人を相手にする仕事に変わったことであった。

あと一つの理由は、父を戦争で亡くし、母と四人の子どもの五人家族が貧困のどん底で十数年生きてきたことだった。おもちゃも学用品も買ってもらった記憶はなく、欲しいと思う気持ちをもつこともなかった。中学生のころから、この貧困から脱却するにはどうしたらよいのか、考えるようになった。そのためには勉強をしっかりして高校に進学し、そして大学で教育を受けることが大事という強い意志をもつようになった。高校を卒業するまで、この意思は持続した。これが私の「サラダ記念日」だったのだと思う。

 

「1990・7・7

小林茂男

自分にとって「記念日」がいつだろうかと改めて考えてみると、やはり″一九九○年七月十日〟だろうか。

今から二十八年前,吉祥寺の小さなマンションでまがりなりにも小さなデザイン事務所を始めた。
貧乏で定収入もない若造を相手にしてくれる不動産屋は少なく、事務所の物件探しは難航し、何軒も何軒も歩き回った。夏が始まるジメジメした暑い頃だった。
半ば諦めかけて入った不動産屋で「こんな物件があるから見てみたら」といって紹介してくれたのが、そのマンションだった。駅からは少し離れていたが、こぢんまりとしたかわいい建物で、私は即決した。

契約を終えて鍵をもらい、その部屋にはじめて小さなペンスタンドを置いたその日が「記念日」である。
2Kの狭い部屋だったが、ベランダからはカナリヤ色の中央線がパノラマのように目の前を走り抜け、晴れた日には遠く富士山を望むことができた。
明日からの生活に何のメドも無かったけれども、それでも未来に向けて何となく揚々とした気分になったのを今でも覚えている。

私はその後、このマンションでどうにかデザイナーとして一人立ちをし、そこでカミさんとも出会い、そしてそこで二人の子供が生まれた。いわば人生の出発点といえる場所となったのである。

ところで記憶力のない私が、なぜ明確にその記念日の日付を覚えているかと言うと…。

あのマンションに初めて鍵を開けて入った日、何となくひとり祝杯を挙げたい気分になった。
敷金・礼金でほとんど財布はスッカラカンだったが、友人からもらった缶ビールと、近所のスーパーで買って来た超安売りの売れ残り折詰弁当で何とか形を整え、一人新居初日の悦に興じた。
ところが翌朝、激しい腹痛で目が覚めた。腹痛と下痢はなかなか治まらず、結局それから五日間も七転八倒の苦しみを味わうこととなる。
激しい痛みに襲われる中、残された折詰弁当のパックを見たら、賞味期限の数字が「1990・7・7」と、すでに三日も期限を過ぎたものだったのである。

この日付は生涯頭を離れたことがない。
幸か不幸か、おかげで「記念日」の日付も、ずっと忘れずにいることができるのである。


◉物語の力
 富田芳和

桜記念日

これを書いている今は、窓から小学校の校庭の満開の桜が望めます。

昭和三十六年の四月に私は東京・文京区の小学校に入学しました。その日、校門の脇の桜の木が青空にあふれるように花をふくらませていました。でも校舎に向かう私は、体がこわばってランドセルに圧し潰されそうな気分でした。何とか教室に入ると、ピンク色のチョークで描かれた満開の桜が黒板をいっぱいに埋め尽くしていました。まだ会っていない先生が、何日もかけて花びら一枚一枚をていねいに描いたようです。はちきれそうだった緊張がふーっと抜けていきました。

今になっても桜の季節になると必ず蘇る昭和三十六年の強烈な記憶です。「自分記念日」という課題を考えていた時、四月六日を私の「桜記念日」しようと思いました。

この年、ソ連ではボストーク一号がガガーリンを乗せて宇宙飛行に成功します。韓国では朴正熙が軍事クーデターを起こします。こうした当時のニュースは、インターネットのウィキペディアを調べて分かったもので、私の記憶に残っていたものではありません。ガガーリンのことも朴正熙のことも、世界史の中の重要な事件だということは分かりますが、歴史をひもとかない限り私の前に立ち現れることはないように思います。

世界史の事件は、時間とともに「私」からよそよそしいものになっていきます。一方で世界史の方も「私」に何の興味も示さないかもしれません。しかし、昭和三十六年四月六日の「私の事件」は、一生毎年毎年私の心に鮮やかに蘇ることになるでしょう。もし桜の季節に、孫と手をつないでどこかの小学校の門を通り過ぎることがあったら、きっとこの「事件」を語っているに違いありません。「事件」にはまだ書ききれなかった登場人物がたくさんいます。 母、担任の水上先生、その日クラスで初めて話をした高山くんや斉藤さんのこと。

世界中の人がそれぞれの自分史を書き、それを共有することができたなら、「世界史」はいらないのかもしれない。満開の桜を眺めながら、そんな妄想をぼんやりと私は抱いています。

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