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第十二回テーマ「もし過去が変えられたなら」

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「この転機がなかったら」

A・K

人間の一生のうちには、いくつかの転機がある。私が初めて自分の意志で人生を変えようと思ったのは、高校卒業後、就職した会社にいた頃であった。長野県の山奥の大自然の中でのびのびと育った夢見る少女が実社会に出て感じた閉塞感や、会社組織の中の上下関係の不自由さから解放されたいと鬱々としていた。同期の友人が夜間の短大で保育士の勉強を始めたのに触発され、私も高校時代からの夢を叶えようと決意した。

二年十か月勤めた会社を辞め、三か月受験勉強した結果、ある大学の英文学科に無事合格し、私の大学生活が始まった。昼は同大学の事務局でアルバイトをしながら大学の夜間部に通った。昼と夜の二重生活に走り回りながらも、私は本を抱えて図書館に通い、仲間と夜中まで語り合う生活に生き生きとし、自分自身の脚で大地を踏みしめて歩いているという充足感に満たされていた。

自分の心に真摯に向き合い、自分のしたいことを見つめたこの時、私の一生が決まったといっても過言ではない。これが自立して、自分の脚で歩き始めた第一歩となった。ここからより広い世界が目の前に開け、後にメキシコという未知の国へ旅立つ勇気にもつながったと思う。
この転機がなかったら、私の人生は、ごく平凡で無味乾燥なものになったに違いない。

 

「夫の寿命を延ばせていたら」

石黒以津子

五十六歳で亡くなった夫に、三人の娘たちは「お父さんとバージンロードを歩きたかったのに……」と言っていました。息子は、「家から甲州街道への抜け道を見つけたから、お父さんに教えてあげたかったのに……」と早すぎる父親の死を惜しみました。

もし過去を変えられたら、せめて古希を迎える日まで夫の寿命を延ばしてあげたかったと思いました、涙とは無縁の夫でしたが、娘とバージンロードを歩くときには、「どうだ、俺の娘はきれいだろう」と自慢げに歩きながらも、胸のうちは嬉しさと寂しさの入り混じった複雑な思いでいっぱいになっていたことでしょう。一度ぐらい花嫁の父としてバージンロードを歩かせてあげたかったです。

同じ会社に勤め、これから実社会での先輩、後輩として、また男同士の飲み友だちとしての付き合いを始めたばかりの息子に、父親としてあれもこれもと教えておきたかったことが山ほどあったでしょう。四人の婿や嫁を実の息子や娘のように愛おしみ、可愛がり、一緒に飲んだり、歌ったりして大騒ぎしたことでしょう。さぞかし無念だったに違いありません。

親となった子供たちも、我が子に自慢のおじいちゃんを写真でしか会わせてやれないことを残念がっています。子供たちに絶大な人気のあった夫が、「さあ行くぞ」と大勢の孫を引き連れて先頭を歩いて行く姿、背中に何人もの孫を乗せて四つん這いになって怪獣のように叫び声をあげて暴れている姿……どの場面を想像しても、そこにはいつも子供や孫たちに囲まれて嬉しそうにしている夫の顔が浮かびます。

「長生きさえすれば、こんなに楽しいことやおもしろいことが待っていたのよ」と早々に先立った夫に、妻として、その後の家族の様子をせっせと書き送っている日々です。もしまた巡り会えたら、今度こそ二人で定年後の人生を、元気いっぱい、思いっきり楽しみたいです。

 

「リセットの衝動」

馬場先智明(言の葉の風─⑫より)

今から三十年ほど前、二十代最後の年、すべてを捨てて日本を脱出、インド放浪の旅に出ました。振り返れば、人生の〈転機〉は何回かありましたが、このとき以上に激しく“人生のやり直し”を希求したことはなかったように思います。本当に後先考えず熱に浮かされたように飛び出しました。

大学を出て出版社に勤めたものの、終わりのない激務と一向に上がらない薄給続きに身も心もボロボロ。蓄積された不満と鬱屈は、小さな安定の上で危うくバランスを保ちながらも、じわじわと心身を蝕んでいました。崩壊間際にいたそんなある日、街でばったり大学時代の先輩と遭遇しました。聞けばもう何年もインド放浪をし、たまたま帰国したばかりとのこと。その日は夜遅くまで飲み明かし、旅の話に聞き入りました。

「あそこに行けば、人生観、間違いなく変わるから……」と語る哲人のような表情で語る先輩の話は、私の衰弱し渇ききっていた脳みそと心に一気に流れ込んできました。そして私の中の眠っていた何かを覚醒させました。

翌朝、私は社長に退職の気持ちを告げ、一か月後には、リュック一つを背に、日本を飛び出していました。行き先以外、まったく何も考えない無謀な旅立ちでした。行先はもちろんインド、それも、当時「世界最悪の都市」といわれていたカルカッタ(現・コルカタ)です。

ただ、私はこれが初めての海外旅行で、実のところ、内心、ビクビクものでした。けれどもそんな臆病心に蓋をしてでもやらねばならないと決意していました。自分の殻を破り自分を変えること。人生を変えるのはその手続きを踏んだ後の話だ、と。

カルカッタの空港に降り立った私の脚は小刻みに震えていたと思います。でももう引き返さない、と思い定めていました。もしこのとき、臆病心に吹かれて引き返していたら……。


◉物語の力
 富田芳和

歴史は変えられるか

大長編『ローマ人の物語』(新潮社)などで知られる塩野七生さんは作中で、しばしばこんな風な書き方をします。「歴史に『もし……』は禁じ手だが、もし、シーザーがルビコン川を渡らなかったなら―—」

私が今、読み始めて夢中になっている本ミチオ・カク著『パラレル・ワールド』(NHK出版)は「11次元の宇宙から超空間へ」とサブタイトルが付いていて、私が生きている宇宙の他に10もの宇宙が並行して存在するという途方もない仮説が展開されています。

私は5歳のとき、肺炎に罹り、40度以上の熱を出して生死の境をさまよったことがありました。40度以上の熱を出すと体が痙攣しますが、そのとき体の痙攣ではなく、天井が激震したように思ったので、世界が崩壊しはじめたのだと思い泣き叫びました。以来、私が今生きている世界は、たまたま自分がそこに放り込まれた世界であって、たとえば、四つ角でまっすぐの道を選ばず左に曲がっていたなら、私は今いる世界とはまったく違う世界に歩みだしていたに違いないと、そんなふうに生きていることを考えるようになり、現在に至っています。

科学は、私たちが生きている時間や空間やさまざまな個体について、曖昧さを排した盤石な理屈で塗り固めようとやっきになってきましたが、なかなか思うようにはいきません。飽くなき厳密さの探求には、私も深い敬意を払うものの一人です。

しかし、人間の「想像力」というやんちゃな小悪魔は、せっかく苦労して積み上げた石の山を無残に蹴り崩してしまうことがあります。「想像力」はしばしば「あって欲しい現実」(空想的非現実)と手をたずさえていたずらをします。

「あるべき現実」と「あって欲しい現実」は、人生に共存してきた究極のパラレルワールドではないでしょうか。

歴史は、「あるべき現実」あるいは「確かにあったはずの現実」の道程だと考えられています。でも、人間には「あって欲しい現実」の道程もあるはずではないでしょうか。私は「あって欲しい現実」こそ、人に希望や生きる喜びを与えてきたものではないかと考えています。

さて、とすれば「あって欲しい現実」で綴った自分史というものもありうるはずです。それはいったいどんなものになるのでしょうか。


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