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第七回テーマ 「お正月」

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「我が家の正月恒例行事」

I・Iさん

 「まず、子供たちを食べさせて、それから男性陣、最後は女性陣よ」と毎年、名古屋の実家での正月は二十数名の大人子供が六畳ほどの狭い台所で正月料理を交代で食べる。子供の頃から全く変わっていない。

そのままずっと酒を飲み続ける者、隣接する十畳の和室へ場を移し、雀卓を囲む男たち、トランプや百人一首を競い合う子供たち、その傍らで、火鉢で餅を焼いたり、するめを焼いたり、赤ん坊の世話をしながらおしゃべりを楽しむ女たち、十一人兄弟全員が同日に集まることは難しくても数家族集まっただけでも大変な騒ぎだった。

雑煮は鰹節たっぷりの出汁でもち菜と固いままの餅を入れ、柔らかくなったらそれを椀に盛り、そのうえから花かつおとイクラをたっぷりかけて食べるのが我が家の伝統だ。

両親が亡くなった後も、呉服屋を引き継いだ末兄家族とわが家の子供たちが同年代ということもあって兄弟のように遊ばせていた。とりわけ子供たちが小学生や幼稚園児の頃は、正月三日は名古屋城近くの公園に集合し、まずみんなでラジオ体操をした後、公園内の八百メートルほどのジョギングコースを子供たちには年齢順にハンデをつけながら、一周一等五百円、二等三百円などと大人たちが褒美を用意して楽しくレースをさせていた。もちろん大人も全員参加、兄嫁は着物姿で走るときもあり、その姿が滑稽で大笑いしたものだ。一周した後は広場で二チームに別れ、野球をしたり、バレーボールをしたり、バドミントンをしたりといつも総勢十数人でギャーギャー大騒ぎしながら汗を流した。

時が経ち、我が家の四人の子供たちもそれぞれ家庭を持ち、父となり母となり、孫十二人、普段一人暮らしの私が彼らを迎える立場となっている。子供たちにとって名古屋での正月は忘れがたい楽しい思い出、自分の子供たちにも同じような思い出を作ってやりたいと、我が家 の近くの公園で、孫たちを集めて対抗リレー、サッカー、かくれんぼ、鬼ごっこなどをさせて遊ばせている。

私の代から新たに加わった孫カレンダーも今年で十作目となった。楽しい正月の恒例行事がしっかりと引き継がれているのを天国の夫も喜んでいるだろう。

 

「奄美大島のお正月」

M・Wさん

私は十五歳まで奄美大島で育ちました。戦後の貧しい生活は私だけでなく、村民すべてが自給自足の生活を送っていました。

そんな生活の中で、お正月にはとても明るいスポットライトが当たっていたと思います。子どもたちにはお正月の準備をする役割が与えられていました。ふだんは水汲みや清掃もしていましたが、お正月は飾りを作るのが子どもの仕事でした。

山へうらじおを取りに行き、ゆずり葉と稲穂、松、それに藁を足して門松を作るのです。貧農の村民は、お正月に飾り物を作るほどの余裕もないため、それは子どもの仕事でした。子どもたちはこの仕事で、かっこいい枝ぶりを見分ける目を養うことになり、子ども同士で、かっこいいお正月飾りを作ることを競い合っていました。

奄美では靴が買えなかったので裸足で歩いていましたが、お正月だけは村の大工さんが下駄を作ってくれました。その下駄に、梔(くちなし) 子の実で色付けをして自分だけの下駄を作り、友人たちに自慢をしていました。新しい下駄を履けるのがとてもうれしくて、その下駄を履くことで、お正月を百倍楽しんでいました。おもちゃを買ってもらったという経験はまったくありません。買える家庭環境でもありませんでした。

 

「私のお正月」

H・Sさん

「最近『お正月』を感じられない」という年配の方がいたが、私も同感である。定年後、三連休の有難味がなくなったが、それ以上に昔感じたお正月の特別感が薄れている。元旦に営業している店があることもその理由の一つだろうが、今、お正月でなくとも年中御馳走があふれている時代となったからだろう。
さて家中でいちばんお正月に縁があったのは、亡き父だった。毎年率先して門に正月飾りをつけ、初詣も欠かしたことがなかった。父自身の誕生日も一月二日だった。必ずその日に兄夫婦が訪れ、少ない家族が正月料理を食べながら近況を語った。今年、兄の友人の話を聞き、二十歳ごろその家でアルバイトをしていた関係で、大晦日にその近所の大宮八幡宮と明治神宮に父と自転車で初詣に行ったことを思い出した。ただ私には明治神宮の篝火しか記憶にない。

ところでお正月が神道の行事であることをこの歳になり初めて知った。年始に降臨した歳神(としがみ) 様が門松を目印に各家を訪れ、鏡餅に七日間鎮座し、その後、一月十一日 の鏡開きに、歳神様の宿った鏡餅を食べることでその年の無病息災、福を授かるという。お正月は餅をはじめ、食べることが幸せに結びつく行事だ。

鏡餅の飾りの橙(だいだい) 、ゆずり葉には子孫繁栄の意味がある。残念ながらその習慣のなかった我が家に恩恵はなかった。しかしこれからも年一度、「お正月」を祝うことで父を思い出し、日本人であることを再確認したいと改めて思う。

 

「我が家の正月料理」

H・Mさん

子どもがまだ幼い頃、大晦日の夜は妻の両親の出身地、北海道の年夜行事である正月料理を囲み賑やかに年越しをし、元日になると自分の両親の家で新年の祝いをしており、二度の正月料理を味わっていた。

子どもが結婚してからは、元日に自宅に招き、また孫が生まれて十人の家族になったので、お節料理も自分で作ろうと思い準備を進めることにした。

まず年末におせちカレンダーを作り、栗きんとん、黒 豆は十二月二十五日に仕込み、だてまきは二十九日に、昆布巻きとごぼうの八幡巻きは三十日、ブリの漬け焼きと、鳥の照り焼きは三十一日と、それぞれ段取りをつけて取り掛かる。自家製のおせちは市販のものとは一味違い、評判も良く、いつも残すことなく平らげてくれた。

ところがここ二、三年前から歳のせいかおせち作りが億劫になり、またみんなが帰ってからの残り片付けも大変になり、ついに昨年からはおせち作りをやめて、市販に切り替え、息子娘夫婦宅へ交代で行くことにした。ただ栗きんとんだけは特別の想いをもって作っている。栗の甘露煮にくちなしの実を入れて煮た金時芋のコッテリとした味は我が家の自慢の正月料理である。

 

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