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第十三回テーマ「東京オリンピックと私」

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「金メダル級の映像」

石黒以津子

テニスの実績を認められて東京の大学に推薦入学、自分にとって初めて親元から離れての生活をスタートした年のせいか、東京オリンピックが開催され、日本中が沸き立っていた時であっても、最終聖火ランナーの坂井さん、実際に体育館で観たダイビングの一シーンぐらいしか記憶にない。

その年、はっきり覚えているのは初めて夫を目にした日、入学式直後に各部活が新入部員を勧誘するために行うオリエンテーションの時のことだ。その年の春合宿から練習に参加していた私はその日先輩の手伝いで勧誘席にいた。大学正門からの銀杏並木の両側にずらりと並んだ各部活動の勧誘ブース、ラグビー部とテニス部、共に運動部とあって場所が近かった。

道を挟んで斜め向かい、テーブルの上に足を組んで腰を下ろし、スポーツ刈りで清潔感に満ち、人さし指と中指でタバコを挟み新聞を読んでいる精かんな彼の姿に、見とれてしまった。中・高女子校で育ち、ひたすらテニスに明け暮れていた自分にとって、彼の姿は妙に男っぽく、衝撃的だった。

授業が終わるとすぐに渋谷駅まで早足で向かい、東横線で綱島駅まで、そこから数分歩いて大学総合グラウンドへ向かう生活だったが、毎朝行われるミーティングの部室の近くで、学生食堂で、グラウンドへの往復の電車の中で、彼の姿を見たときは、それだけで胸がときめき、幸せだった。

一年生の自分にとって三年生は大先輩、ましてや異なる部活の彼はとても声をかけられるような存在でなく、誰にも気づかれないように片思いを楽しんでいた。

私のハートを一瞬に射止めた彼の映像は、その年のどんなオリンピック映像にも負けない、いやそれ以上、金メダル級の輝きを持つ我が青春映像第一号となった。

 

「未来への希望を感じた東京オリンピック」

坂上ひろみ

東京オリンピックのとき、私は小学校四年生でした。そのときが日本も私の家族もいちばん元気だったような気がします。

図工の時間に描いた絵は、三宅選手がバーベルを持ち上げる瞬間。話題は、近隣の甲州街道を裸足のアベベが走ること。そして「東洋の魔女」といわれた女子バレーボールチームの快挙。平均台のチャスラフスカの完璧な演技。高校生の水泳選手、木原美知子など多くの選手が思い出されます。カラーテレビではなかったのに、赤いブレザーに下半身は白のコスチュームの日本人選手団の入場行進、聖火の点灯は目に焼き付いています。同時に鳴らされたファンファーレの曲も思い起こされます。

また歌といえば着物姿の三波春夫が「東京五輪音頭」を手拍子をとりながら歌う姿も脳裏から離れません。人生のなかでこれほど五感とともに心に残るオリンピックはないだろうと確信しています。

歴史のうえでも東京オリンピックは、戦後十九年、あと一年で成人式を迎えようとしていた新生日本が、世界にその成長をアピールした輝かしい時期のイベントだったと断言できます。このとき新幹線の誕生をはじめ、その後の技術革新の進歩の原動力となる多くのものが生み出されました。特にこの時期開発されたコンピュータシステムが銀行のオンラインシステムの礎となったことを今回知り、驚きました。

小学校四年生だった私たちに年配の担任教師は「今十歳の君たちが、未来の大人となる君たち自身を決めるのだ」というようなことをおっしゃいました。大人って子どもと全然違う存在と感じていた当時の私は、何か不思議な気持ちと同時に未来への希望を感じました。

半世紀の歳月は、父をはじめ多くの選手や関係者を鬼籍に入れてしまいました。ご存命の方も少ないなか、三宅選手の姪御さんが同じ競技で活躍されているのを目にし、うれしく思いました。

次回のオリンピックでボランティアをしてみたいと漠然と思っていましたが、尋常でない暑さのなか、無理かとも思い始めています。こんな私を、あの頃の私はどう思うでしょうか

 

「東京オリンピックと私」

松山 一

東京オリンピック一九六四(昭和三十九年)は、日本が戦後の荒廃から立ち直り、近代国家に向かって歩み出したスポーツの祭典だった。その象徴が東海道新幹線、高速道路の開通、ユニークな競技場や高層ホテルの建設、テレビの普及などで、日本を世界にアピールした。

当時私は三十四歳だったが、企業戦士として日夜業務に励んでいたため、競技のほとんどはテレビ観戦となった。今振り返ってみると、大会はいくつかの幸運に恵まれた。まず開会式当日の十月十日は前日の雨が一変し、抜けるばかりの青空になった。さらに競技場上空に鮮やかな五輪を描いた航空自衛隊ブルーインパルスの祝賀飛行で、いずれも気象庁が過去の晴天特異日を調べ、また当時、レーダーもなく、勘を頼りに描いたスモークなど、入念な準備の結果だった。

日本選手の活躍も目覚ましかった。女子バレー、レスリング、体操、柔道、重量挙げ、マラソンなどで金、銀、銅合わせて二十九個のメダルを獲得した。開会式での聖火最終ランナー阪井義則君の雄姿、マラソンで競技場内でイギリスの選手に追いつかれ三位に終わった円谷幸吉選手の壮烈な姿などが印象的だった。閉会式で日の丸を持った選手を担ぎ上げ入場した各国選手を見て、世界は一つと感銘した。

あれから半世紀が過ぎ、再び東京オリンピック二〇二〇が開かれる。大会の成功を祈る。

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