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第十一回テーマ「私が本を出すとしたら」

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「自分史の完全ってあるかな」

C・T

地獄の、屈辱の、人間不信の結婚生活。たかが一年余りなのに、さすがの陽気で勝気な私も、こんな家があるのかと参ってしまった。離婚して二か月くらい、引き籠もりになってしまった。この話は、親にも誰にもしていない。やはり封印したまま、あの世へ持っていくような気がする。

不思議だが、娘にも話せないし、当然、娘も知らない。もし私がこの封印を解いたら、私はどう変わるだろう。今まで何十年と楽しい家族生活を続けてきたのに、話してしまったら、私は顔を上げて暮らせないような気がする。融けてしまうかもしれない。

二か月の引き籠もりの日々、私はそれからの生き方について考え続けた。気持ちがだんだんと高揚していく。負けるわけにはいかない。そして家を出て一人で生きることに決めた。

孫が結婚して、久しぶりに娘と孫の三人で食事に出かけた。そのとき彼女が初めて、「おばあちゃんの生きた道が知りたいな」と言った。波瀾万丈な人生を。

「そうだね、うちにはあなたのお父さんもおじいちゃんもいないものね」

私は田舎から一人で東京へ出てきたところから、少し話してもいいかなと思った。でもなぜ一人で東京へ出たのかは、話せない。

何から話を切り出そうかと考えていると、テーブルの下で隣に座っている娘が足で合図をした。娘の離婚の阿修羅を話されては困るとの合図だと察した。
結局、楽しい会話ばかりで終わった。

でも私は、自分史を書いておこうと思っている。現在、少しずつ進行中。書けたら、私が死んだ後に、みんなで読んでほしいと願っている。

 

「人様の役に立てるのなら」

S・T

本を出そうと考えたことはありませんが、自分の生きてきた歩みが、人様の心の救いとなることがあるならば、記しておきたいくらいです。

高校生の頃を出発点に、今日まで半世紀以上、ただひたすら「自分を変えたい!」「変わりたい!」と切に願い、人としての本来的生き方を求めて生きてまいりました。自分の心が変わってきた分、生きることの楽しさを少しずつ味わえるように変わらせていただいてきているようです。

ここに至るまで、大学の恩師、カウンセラー、尼僧道場のご導師、そして実践倫理との出会いと、私の心の求めるままなのか……親、先祖の願いなのか……折々に不思議な人や事との縁が重なり、そのなかで人生が紡がれてきたように思います。光の当て方によって、今、今の現実がお化けにも、立派な人や事にも見えてくることを体験させていただいてまいりました。

自分の短所ばかりが目につき、幾重にも自己否定していた私が、「短所あって良く、長所あって良し、大切なことは、今よりもより良くを目指し、足許の具体的目標を掲げ、努力を継続する」ことが大切と知りました。そうしたなかで、「短所も長所になること、逆も真なり」と感じられてまいりました。努力による小さな変化が喜びとなっていき、次に向かうエネルギーともなっていきました。

「敢えてし、慣れてし、歓んでする」ということが、努力の過程とお教えいただいたことが、頭の隅に残っていました。
自分と取り組んできた半世紀以上の年月、あの一言、この一言、あの気づかせ、この気づかせが、さまざまに思い出されてまいります。ご恩情への感謝が深まれば深まるほど、私も人様のお役に立ちたい! との心が溢れてまいります。


◉物語の力
 富田芳和

田園の憂鬱

佐藤春夫の小説「田園の憂鬱」をたまたま読み返していて、モデルになった土地はどんな所だろうと調べていたら、私の住まい(横浜市青葉区つつじが丘=写真)から二キロぐらいしか離れていないことを知ってびっくりしました。小説が発表された大正九年は、まだ東急田園都市線も通っていず、土地までたどりつくには、JR(当時・国鉄)の長津田駅あたりから一時間以上徒歩で歩かなければならなかったはずです。主人公が移り住んだ家の周囲は農家もまばらで、狐狸の棲む森がありました。一九六八年に田園都市線が開通すると、青葉区周辺の丘陵地はめまぐるしい勢いで宅地造成され、都会のサラリーマンのベッドタウンとなって、風景はまるでタイムスリップしたように一変しました。

一九七〇年代の高度成長期に競って移住してきた当時の若い勤労世帯の多くは、今や、子どもたちは独り立ちし、世帯主は会社を退職し、人生の円熟をゆっくりと楽しもうという時期に来ています。

ここで水を差すようで恐縮ですが、私は時々、佐藤春夫の「憂鬱」とは違った意味での憂鬱にとらわれます。先日亡くなった高畑勲の「平成狸合戦ぽんぽこ」をテレビで見ました(四度目ぐらいになりますが)。宅地開発で住む場所を奪われた狸たちが人間たちに戦いを挑むという名作アニメーションです。同様のテーマは漫画家・水木しげるが、狸の代わりに妖怪で何度も描きました。両巨匠が描いた狸や妖怪の問題は、「田園の憂鬱」の農村の生活にも置き換えられると思います。さらに私は、自分の生活も含めた、田園都市線周辺のかつての「新興住宅地」が、次の振興エリアから切り捨てられて、限界集落化していくという悪夢をぼんやりと見ることがあります。

私の憂鬱=悪夢は、超高齢化社会の問題だけでなく、「土地の記憶」の消滅という問題から生まれています。——佐藤春夫がモデルとした土地の人々はどこへ行ったのだろうか。長い年月受け継がれてきた記憶はどこに消えてしまったのだろう。それらの記憶を短時間に塗りつぶしてしまった「新時代」も、やがて時間はゆっくりと侵蝕していくことだろう。私の住む街とその時代、その記憶は、五十年先百年先には、存在しなかった時空になってしまうのだろうか?

歳とともに、「自分史を書きませんか」というフレーズが、「皆様、どうか自分史を書いてください!」という、心の叫びに変わろうとしています。

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