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第二回テーマ「私と新製品」

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「プロレス観戦とガス中毒騒ぎ」

T・Nさん

昭和三十四、五年の頃、名古屋の家の周りには、テレビのある家はほとんどなかった。私の父・悠基男は愛知県の自動車ディーラーに勤めていたが、周りもだいたいサラリーマンが多かったようだ。当時は戦後の貧しい時代だったが、子供はどこでも二人以上で、我が家は男ばかりの四人、貧乏人の子沢山だった。

このような時代であったが、テレビが発売され、近所では一軒置いたIさん家に初めて入った。日頃から仲良くしていたので、お誘いもあり子供たちを先頭に時々テレビを見に行かせてもらった。当時は相撲取り出身の力道山が出てきて、空手チョップで外人を相手に倒していくなどおもしろく、プロレス中継が人気の番組だった。

大勢の子供や大人が十畳くらいの部屋でテレビを見ていたが、冬場で石油ストーブを焚いていたので暖かい反面、酸欠で息苦しくなるようだった。そのうち1時間ほどしたら気持ち悪くなり、その家の玄関から外に出て「ガス中毒」と大きな声で叫んだらみんながびっくりして、また自宅から親父とお袋が飛んできて抱えられて家に戻った。幸い時間とともに落ち着き大事にならずに済んだ。

本当にガス中毒だったのか定かではないが、大騒ぎになったことはいまだに記憶に残っている。

 

「故郷 力道山とプロレスブーム」

 K・Nさん

「新製品」で思い出すのは、テレビが出始めた昭和二十九年頃のこと。我が故郷、高松市仏生山町は松平藩の菩提寺(法然寺)を擁する半商半農、人口四千人ほどの町だった。本通りの両側には商店が立ち並び、その裏側は職人長屋や小寺、住宅などで、江戸の下町のような趣があった。職人町の裏側はすべて田んぼだった。

テレビで力道山のプロレス中継が始まると、本通りに一軒しかない電気屋さんのテレビの前には、二百人くらいの人だかりができて、その中へ十三歳だった自分は後ろからすばしこく潜り込み、前の方に出て観ていた。大人たちは「またあの家のガキか」といった目。ルー・テーズ、シャープ兄弟、トルコ出身のレスラーもいた。最後はたいてい力道山が空手チョップで決めた。

力道山のプロレスブームの二年ほど前だったと思う。どの家もラジオはもっていたが、よく故障もした。ラジオ放送の「君の名は」がブームになり、木曜日の八時半〜九時の時間帯は、婦人方のほとんどがラジオに張り付いていて、町にある三軒の銭湯の婦人風呂は空っぽになっていたという。この放送は一年間続いた後、佐田啓二、岸恵子主演で映画化され、婦人方はこぞって行ったようだった。

裏の職人街では仕事が暇な鍛冶屋さんや、早めに仕事を終えた大工さんらが囲碁、将棋に興じていた。自分の友達でもあった散髪屋さんのおじさんときたら、店で客の髪を切りながら将棋を指していた。危ないよ! このころ自分は、そんなおっさんたちの縁台の囲碁を眺めていて、自然に打ち方を覚えたものだった。

 

「ウォークマンの思い出」

 H・Sさん

電化製品といって真っ先に思い起こしたのは「ウォークマン」です。ラジオとカセットテープの音声が両方歩きながら聞ける優れものでした。ソニーが一九七九年発売後、たぶん七、八年以上経ってから購入しました。購入後は、毎朝、電車の中でだいたい「ラジオ英会話講座」を聞いていました。学生時代から何年も経っていることに加え、耳から入る英語はチンプンカンプン。講師の最後のセリフである“ Keeppractice & Smiling”  の言葉を呪文のように唱え、その場限りの英会話練習を続けていました。

最もウォークマンらしい使い方をしたのは、参宮橋駅を降り、明治神宮を抜けて原宿駅まで歩いたときだったと思います。都会の喧騒を離れ、軽井沢のような鬱蒼とした森の中を歩きながら英会話を聞き続けた時間は、大袈裟ですが、朝の至福の時でした。それは英会話のテーマが興味深く、ポジティブなやりとりだったからです。朝一番に、健康促進と世界を拡げてくれた「ウォークマン」に感謝です。


◉物語の力
 富田芳和

物で語る「物語」

昭和の戦後が自分の成長期、 活躍期である方にとって(私も その端くれですが)、工業製品は、 良くも悪くも人生と生活に大き な影響を与えたように思います。 戦前は「欲しがりません勝つま では」を標語に、極端な物の禁 欲生活を強いられた国民は、戦 後は一転して、次々に登場する 製品に向けて、休むまもなく消 費衝動をあおられていきました。 サラリーマンの月収を超える家 電製品が登場しても、生活も日 本の経済も右肩上がりに上昇す るという夢を疑うことなく、財 布のひもをゆるめていきました。 それがなければ、日本の高度成 長はありえなかったのでしょう。

いま「昭和」という時代が妙 に懐かしいと想う人が増えてい るようです。高度成長期を体験 したことのない若い世代が、昭 和三十年代を憧れるという現象 もあるようです。自分の青春時 代にシンパシーを寄せてくれる 若者に、こそばゆさを感じつつ も、「私はその時代の語り部だよ」 と言ってみたくなるような気持 ちが、胸の奥からふくらみそう な気がします。

私の人生を激変させた物をひ とつ挙げよと言われたら、やっ ぱりテレビということになるの でしょう。一九六〇年ごろ、私 が小学校一年生のころ、白黒テ レビが初めてうちの茶の間に現 れ、たちまち一家のご本尊になっ てしまいました。定価は七万円 ぐらい。父の月収の二か月分以 上だったのではないでしょうか。 いつも近所の空き地にやって来 た紙芝居屋さんは、いつの間に か姿を消し、私たちは、鬼ごっ こやかくれんぼよりも、月光仮 面ごっこやアンポハンタイごっ こに明け暮れるようになりまし た。

いま、若い人たちに、「テレビっ てすごかったんだよ」と言って も、タイムスリップした化石人 間を見るようなけげんな顔をす るだけでしょう。ゆっくりと反 省してみると、あの時代の私の 人生にとって、テレビという物 がすごかったと感じた気持ちは、 じつはそんなには長くなかった ような気がします。でも、番組 に熱狂したこと、夢のなかに現 れた怪人、友達と我を忘れて遊 んだこと、そういうことが胸の うちでじんじん熱くなってくる のです。

その後も、新製品は続々と登 場してくるわけですが、はじめ て茶の間に置かれた一台のテレ ビが、私の生活に引き起こした ドラマは、その時限りのもので、 書き留めてだれかに伝えなけれ ば、永遠に消えてしまうものだ と思っています。

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