文豪たちも通った古書店
もう何年になるだろうか、初めてこの街にやってきたとき、なんだか拍子抜けした記憶がある。整然とした街並みは清潔で静かだが、ほぼ住宅しかない。似た雰囲気をイメージしていた自由が丘のようにオシャレで個性的な店が軒を連ねているわけでもない。下町浅草育ちの私は、この落ち着き払った大人の顔をした街をちょっと物足りなく思ったものだった(が、実はそうでもないことに最近ようやく気付き始めた。そのへんのお話はまた今度)。
そんななか、数少ない楽しみを与えてくれたのが、駅西口から徒歩3分ほどのところにある古書店だった。その店の名は「キヌタ文庫」。なぜ成城なのにキヌタ(砧)かって? それはまだこの地域一帯が砧と呼ばれていた時代に創業されたから。
古書店好き(マニアまではいかないが)の私としては、毎週、チェックを欠かさずにいたが、通っているうちに、出る本の種類と時期に微妙に関係があることもわかってきた。特に年末から年始にかけては、目をつけていた話題の小説が、とても良い状態(新品に近い)でそれも相場より安く棚に並ぶ。フム、これは地元の大作家先生が贈呈でもらった本を、年末、一気に処分するからに違いない……。この推察の当否は未だ未確認だが、そんなわけで、私がその年読みたいと思った小説の何冊かは、ほぼここで購入することとなった。
一度、その点を、店の奥に鎮座する白髯白髪の仙人のような店主にちらっと聞いてみたことがあった。そこはお口が固い。「いやー…ムニャムニャ…」とかわされてしまったので、客の立場をわきまえ、それ以上、追及するのは控えた。お見事、守秘義務もバッチリ。これこそ信頼できる古書店主、永島斐夫さんの姿なのだった。
以来、永島さんとは、時々、本について会話を交わす程度の淡〜いおつきあいを続けてきた。ところが今年に入って二度、蔵書を処分したがっている知人に永島さんをご紹介し、それぞれのお宅まで車で引き取りに来ていただいたことがあった。お一人はちょっとワケあり本(ある意味、稀覯本)の鑑定のご依頼だった。この話も興味深いものだったが、いずれ機会があれば書いてみたい。
そんなわけで、二度ほど、私も鑑定と引き取りの場に居合わせることになり、ひと時、永島さんとよもやま話をする機会をもてた。聞けば永島さんは二代目で、今、三代目となる息子さんが、神田での修業を終えて成城に戻り、今後の店の運営に関して独自の構想を練っていらっしゃるとのこと。
今回、このブログを書くに当たって、改めて取材を敢行した。定休日である木曜日にお電話して要件をお伝えしたら、快くご承諾いただいた。店舗の右側半分は美術部門(成城美術)になっていて、その部屋の応接スペースに通された。美術書や絵画に囲まれた心地よいスペースでお話を伺っていたら、あっというまに3時間近くが過ぎてしまった。永島さんがお付き合いした文豪の話から創業者である先代の話、成城の街の歴史まで、話題は尽きなかったが……さてさて何から書いていこうか。