先週のブログの末尾に「多幸感」と書いた。その意味するところと真反対の気分にどんよりへこんでいたからか、今まで一回も使ったことのない(と思う)こんな表現がポンと浮かんできたのだった。

  「書こう」スイッチがONになると、語彙を保管している脳内の辞書蔵みたいな場所から、わらわらと思ってもみない言葉たちが湧いて出てくるおもしろさはあって、だからこうした駄文も草しているわけだが、そういえば「多幸感」は、つい先ごろ感じていた「あの時」の気分だったことに、今、気づいた。

  あの時とは、この4月に刊行した『よく生きることは よく書くこと』の編集作業中の時期のことで、その時期に何度かその「気分」はやってきた。今思えば、その気分に見合う言葉が「多幸感」というものだったような気がする。

  この本は、2019年の春先に企画したものの、著者の逝去とコロナ禍のダブルパンチで一瞬、消滅しかけたが、延期案件が続くなかにあって、どうにか「これだけは出したい」という気持ちに背中を押されて、刊行までこぎつけたのだった。

  亡くなった著者(千本健一郎さん)は、私がフリーランス時代、朝日ジャーナルや朝日新聞出版局の書籍編集スタッフとして声をかけてくださった恩人のような人だ。編集者としても、ものを書く人としても、私は勝手に師匠と決め込んで、朝日の仕事を離れたあとも、遠くのほうからいつも仰ぎ見ていたものだった。

  本は、その千本さんが朝日カルチャーセンターで30年にわたって続けてきた「千本文章教室」発行の文集毎号毎号の末尾に掲載されたエッセイ30年分を1冊にまとめたものだ。

  満を辞して動き始めた直後に著者ご本人が亡くなってしまったので、以降は、故人の著作権者を引き継がれた御子息・御息女にまずは出版の許可を得るところからスタートした。その第1回目の階段場所に選んだのが、お二人のお住まいの近くでもあった、中延の「隣町珈琲」だった。東急大井町線の中延駅を降りて徒歩5分、商店街中ほどの地下にある。オーナーは物書きでもある平川克美さんで、広い店内の壁際には平川さんの蔵書が並べられ、入り口に近いコーナーには、本の目利きが選んだと思しき新刊書籍も置いてある私の大好きなタイプの珈琲店なのだ。

  こんな素敵なお店の奥にあるピアノを背にした広目の4人掛けのテーブルで、二人の千本さんと初顔合わせしたのが昨年の春先だった。なぜ千本健一郎さんの文章をまとめたいのか、私にとって千本さんはどのような方だったのかを話す私の話にじっくり耳を傾けてくださって、出版をご快諾いただいた。

  その後も、校正紙のお渡しなど、何度も打合せの場を持ったが、すべてはこの店で行った。店からの帰りには、いつも必ず幸せな気分になれた。今どきだからかそれほど賑わいの見えない商店街も、東急大井町線の電車も、気のせいかキラキラしていた。心の底から出したいと思った本が形になってゆく道のりを歩いてゆく幸福感に浸っていたからだろう。この時の気分が、「多幸感」という言い方にまさにピッタリだったように思う。

  コロナ禍は、仕事の停滞や気持ちの鬱屈など多くのマイナスをもたらしたが、その長くて暗いトンネルを行く中にあって、時々ほんの一瞬、トンネルに開いた穴から青空が見えた。そんな気分になれたことに、私は救われたのだった。
7月29日