毎月初めは、渋谷公園通りにある会計事務所に行くことになっている。月々の決算書類をまとめて見てもらったり、税務署提出用の書類を作ってもらったり。6年前、会社を立ち上げる際、起業のために必要な準備と手続き一切合切の面倒を見ていただいたのがその会計事務所のT所長だった。10年前、会社を辞めてフリーとなった私が最初に請け負った編集の仕事が、T所長の本、その名も『さあ起業しよう、そして成功させよう』(万来舎・刊)だった。会計事務所を開業して軌道に乗せるまでの苦労話と、その間に蓄積したノウハウを詰め込んだ、ハウツー9割と人生訓1割が程よくブレンドされた好著で、五十代半ばにしてまだフラフラと足場の固まらない私を大いに刺激した。

 数か月にわたる編集作業も終了し、出来上がった本を届けに事務所に伺ったとき、私は勇気を振り絞り、起業への胸の内を口にしてみた。きっと書名どおり、激励してくれると思いきや、「う〜ん、年齢、いくつだっけ」と聞かれた。「55歳です……」。「起業にはちょっと遅すぎるかなぁ……それにあなたは、人がいいから経営者には向かないような気もする」と。
 ええーっ!! そ、そんな(涙)……。会計事務所の他に二つの会社も持っている経営のプロに、ダメ出しされてしまったのだった。嘘でもいいから「やってみなさい、応援するから」なんて優しい言葉を期待していた私は大甘だった。指摘は至極まっとうで、「現実」を突きつけられた私は一気に目が覚めた。と同時にT所長の「人を見る目の確かさ」に改めて感じ入ったものだった。もしその時、起業していたら、1年、いや半年も持たなかっただろう。

 それから4年、還暦を目前にして私は再び、T会計事務所の門を叩いた。この間、起業に協力してくれる良き仲間たちを得たことなど、いくつかの幸運な出会いや偶然にも恵まれ、これが最後のチャンスか、と意を決して相談に伺った。不退転の決意なんて大袈裟かもしれないが、その時の私の目は結構、血走っていたのかもしれない。T所長の口から出たのは、4年前、私が期待した「やってみなさい、応援するから」だった。そればかりでなく、「毎年1冊、本を書くから、出版をお願いしますよ」という涙ものの言葉だった。私自身の変化を感じ取ってくださったのだろうか。
 こうして無謀にも、いわゆる「一人出版社」を起業したわけだが、その字句が示す「一人」だけの力で運営できるものでは決してなく、現実には良き仲間(友人や家族)の支えがなければ無理な話なのだった。そういう意味では、僭越ながらT所長も、良き仲間の一人に加えさせていただきたいと思っている。

 それからは毎年、年度決算の時期には必ずT所長に面会し、業績について、方針について、いろいろと中身の濃いアドバイスをいただいてきた。ただ、その頃から少しずつ体調が悪いほうに向かっていたようで、原稿書きもままならないようだった。
 小さい時に父を亡くしている私にとっては、経営上の「父」のような存在だった。その父には「不肖の息子」がよく見えていたようで、「経営に向かない」私は、今も相変わらずヨロヨロふらふらしながら歩いている。
 この春、長い闘病の末、旅立っていかれたT所長に面会することも叶わず、なんとかここまで来られたことの感謝を直接伝えられなかったことは残念でならない。
 今頃、下界を見ながら、心配してくれている……かな。