渋谷駅から宮益坂を青山通りに向かって少し歩くと宮益坂上の交差点に出るが、その近くに、ウィリアム モリスという珈琲店がある。渋谷駅周辺は新宿駅周辺と同様、(良き)喫茶店不毛地帯とかねがね思っていた私にとって、この店はそんな悪しき思い込みを見事に取っ払ってくれた。

 私が思っている良き喫茶店の条件は、美味しい珈琲を飲みながら一人静かに本を読める心地よい時間と空間をそっと与えてくれる……ただそれだけのこと。欲を言えば店内に本棚があって、その背表紙を眺めているだけで幸せになれるような渋めの人文書が並んでいれば、なおいい。こんな三拍子揃った所はそうそうあるもんじゃない。私にはそんな隠れ家のような喫茶店がいくつかあるが、渋谷では唯一、この店と決めている。

 壁に本棚はないけれど、「ウィリアムモリス 珈琲&ギャラリー」と謳っているように、1か月ごとに展示作品を変えるギャラリーにもなっていて、カウンターと窓以外の壁面には、それらが程よい間隔で美しくレイアウトされている。展示作品には、本にまつわるもの、カバーデザイン、装幀や造本、イラストレーション……が多く、このラインナップであれば、本棚がなくても充分。というか、本の親戚筋にあたる素敵な作品たちに囲まれた空間を珈琲ととともに味わうもよし、手にとって閲覧するもよしで、月替わりの展示を目当てに立ち寄れる楽しみを与えてくれるのだ。

 私がここを知ったのは、2年前のことで、うちで出しているリトルプレス『小さな声で』の2号に執筆をお願いしたRさんとの打合せ場所で来たのが最初だった。美大で造本技術を教えていらっしゃるRさんご自身の作品も展示したことがある馴染みのお店という。

その時か、別の日か忘れてしまったが、『小さな声で』でいつか「本と珈琲」というテーマをやってみたい、その際は、原稿を書いていただけないでしょうか、と、カウンターの内側にいた店主のKさんに聞いてみたことがあった。残念ながら執筆はお願いできなかったが、「本と珈琲」なら、うちで作りましたよ、と言われてお見せいただいたのが、写真の冊子『本と珈琲』だった。

 聞けば、2014年の8月の1か月間、「〈本と珈琲〉展」があり、そのときに作ったという。A5判変形のほぼ正方形で、手に持ってみるとなんともフワフワした手触りで気持ちいい。それもそのはず、カバー用紙には珈琲を淹れるときに使うフィルターの紙を使っていたのだ。カバーイラスト、装幀、造本、文章……のすべてに、編集者とデザイナーの手になる、数寄を凝らした跡が滲み出ていて、フーッとため息が出た。

 もともと「〈本と珈琲〉展」のために作られた小部数の制作で残部もなく、その時は手に入れることはできなかったが、Kさんはご親切にもあれこれ探索し、どこからか1冊見つけてきてくださった。先日、その『本と珈琲』を受け取りに立ち寄り、Kさんの淹れてくれた珈琲を飲みながら改めてじっくり読んでみた。ああこの至福のひと時……。

 扉頁を開けた見開きに、なんとも素敵な文章があるので、是非ここにご紹介しておきたい(勝手に引用すること、どうぞお許しを)。

  珈琲を飲む時間は、珈琲を飲むためだけにあるのではない。

  寺田寅彦に倣えば

  「珈琲を飲む時間は、珈琲が冷めてしまうまでの短いあいだ、珈琲が奏でる旋律を楽し

  む時間であって、それを充分に味わうためにやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい」

  「珈琲の適当な前奏」が珈琲を淹れることだとすると

  「伴奏」とはなんだろう?

  映画? 音楽?

  やはり、本をおいてほかにはあるまい。

  珈琲を飲みながらの読書は至福のひととき。

  いや、「本を読みながら珈琲を飲む」のか?

  とすると珈琲が本の伴奏ではないのか?

  いやいや。

  このさい、どっちでもかまわない。

  本だけでもいい。珈琲だけでもいい。

  両方あるともっといい。