私を含め、私たちのほとんどは、もう戦争の悲惨さを語り伝える言葉をもっていない。だって、戦争を体験したことなどないし、かろうじて太平洋戦争を生身で知っている父も母も、もういないのだから。

 けれど、記憶の糸をたぐってみれば、昔、一度や二度くらい、父、あるいは母から戦争の体験談を聴いたことがあるのではないだろうか。たとえば、戦争映画や毎年8月には特集が組まれるテレビのドキュメンタリー番組を見ながら、父や母がポツンと漏らしたひと言などを覚えていないだろうか。

 戦後生まれの私たち世代に唯一残された“戦争の記憶”があるとすれば、それは父や母から聴いたその体験談にほかならない。もはや高齢に差し掛かっている今の身になってみれば、そんな記憶も危ういもので、何もしなければ、忘却の彼方に消え去ってしまうだけだ。

 でもこんなふうに戦争の記憶が風化していけば、どうなるか。ある俳人が詠んだ句、

 戦争が 廊下の奥に 立ってゐた

 なんてことになりかねない。気がついたら、戦争が、そこに、いた。うひゃー! と腰を抜かしても、もう遅い。「イッヒッヒ……今ごろ気がついたって、おせーんだよ」と廊下の奥で死神がほくそ笑んでいる……のは勘弁してほしい。

 戦後も77年が経過して、いわゆる「戦争法案」が立て続けに強行されるなど、近年、着々と次の戦争への道が整備されている。かつて、まるで勝てる見込みのない太平洋戦争を始め、その挙句、最後は原爆でトドメを刺された悲惨な黒歴史の因果を知ってみれば、もう二度と……という思いにもなるはず。しかし、その思いを共有できた親世代がほぼ退場しつつあるために、私より下の世代にその思いが伝わらないのが、今という時代なのだ。

 日本人死者310万人以上、中国や朝鮮などアジア全域の死者は2000万人以上、などと数字で言われても数が多すぎて、見た途端にリアルさを失ってしまう。マスの死が個の死を覆い隠して見えなくしてしまう。手足を切断したり内臓が抉り取られるような具体的な激痛や恐怖、親兄弟、親友や恋人を失ったときの悲嘆は、決してわからない。所詮他人事なのだ。

 それを補うように、あるいは鎮魂の気持ちからか、戦争体験世代の作家は優れた戦争小説を残してきたし、今でも優れたノンフィクション作品は書かれているが、残念ながらあまり読まれているとも思えない。

 こうして私の娘や息子世代にとって、戦争は果てしなくリアルさを失い、失うがゆえに「次の戦争」への敷居はどんどん低くなる。人口減とともに国力(GDP)は低下し、高齢化社会、格差社会で生活は苦しくなる一方では、「戦争でもおっぱじめて一発逆転するチャンスに賭けるしかないんじゃね?」という破れかぶれというか、憂さ晴らしのような発想が出てきてもなんの不思議もない。

 そんな若い世代の一人である我が息子に、私は、何をどう言ったらいいのか、考えあぐねてしまう。正直、半分は諦めている。突き放した言い方になるが、もし、戦争に突き進むようなことになれば、身をもって戦争のリアルを初体験することで、(もし死なないで済めば)何かを会得するのだろうし、その反省を活かして次の時代をつくっていってほしい、と思うしかない。

 退場間際の私たちが、彼らにしてあげられることは、もう、あまりない。ただ、少しでもできることがあるとすれば、私の親世代の戦争体験を伝え残しておくことくらいだろうか。

 最近読んで感銘を受けた『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川恵子・著)を、興味のなさそうな息子に手渡してみたのも、そんなささやかな試みだった。「今」と「近未来」に関心の全神経を集中している二十代の息子にとって、「過去」の歴史は、基本的に関心外の出来事なのはよくわかる。なので、たとえ今読まなくても、何年先、何十年先か、図書館かどこかで再会したとき、「ああ、そういえば……」と思い出してくれればいい。私もそうだったが、ある程度年齢を重ねないと、歴史への興味も深まっていかないもの、なんだろうなぁ。

 そんなこんなをつらつら考えていたら、しばらく作るのをサボっていた『小さな声で』の最新号は「戦争」をテーマにしようかと思いついた。戦時下や戦後の生々しい記憶を心の奥底に秘蔵されていらっしゃる世代の方々にとって、「戦争」がどんなものであったのか、それを語る小さな声を聴いてみたくなった。